高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和3年4月1日発行 第85号

檀信徒の皆さまこんにちは。
境内は早朝からとてもにぎやかです。
言葉を覚えたての幼子の様に
小鳥たちがさえずり合っています。

稲葉法研大僧正様の法印轉衣(てんね)式

新型コロナウイルスが流行して1年が過ぎました。
振り返りますと昨年は大分県外へ出る事のない一年でしたが、
3月は久しぶりに高野山へ上がってまいりました。

 

当山の所縁坊でもある本覚院住職 
稲葉法研大僧正様の法印轉衣(てんね)式に
ご招待を受けたからです。

 

法印とは一年間、宗祖弘法大師空海様のご名代として、
高野山での主要な法要の導師を務める
大変名誉ある役職です。

 

こちらもコロナ禍で人数を制限した
法要となりましたが、
高野山内住職が勢揃いをした
大変威厳ある法要でした。

 

 

私が初めて法印様にお会いしたのが
今から25年以上昔の事になります。

 

当時から大変貫禄のある方でしたので、
年齢などは考えてみたことが有りませんでしたが、
今にして思うと40台後半で今日の私と同年齢くらいです。

 

当時の本覚院さまがどのような事を
考えておられたかは想像も出来ないものの、
法印まで務められるのは並大抵の
ご努力では無かったと思います。

 

法印様が高野山に上られたご縁は
幼少期の大病であったと伺っています。
今回のご挨拶でも命の尊さを説かれていました。

 

一年間お大師様のお代わりを務められるわけですが、
お大師様に見守られ重責を果たされることと思います。

 

帰宅前の奥之院参拝では日常の感謝と
檀信徒様の平安と共に本覚院様のご健康を
祈念してまいりました。

 

令和3年4月1日発行 第85号

3月の講習会

3月の講習会ではスッタニパータという
原始仏教聖典の中でも最も古いと言われている
仏典の中からお釈迦様の言葉をご紹介致しました。

 

この経典の中には難しい仏教用語などはなく、
お釈迦さまが生きておられた当時に
弟子や民衆から受けた質問などに対して、
散文形式の「話し言葉」で紹介されています。
原文では詩の形式で語り伝えられています。

 

足ることを知り、わずかな食物で暮らし、
雑務少なく、生活もまた簡素であり、
諸々の感官(感覚器官や感情)が静まり、
聡明で高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

 

宮沢賢治の「雨にも負けず」を
思い出すような言葉(詩)です。

 

現代の私たちは多くのモノに満たされ、
贅沢な食事に豪遊し、
多くの情報と刺激の強い映像や遊びに触れ、
少しでも周りの人よりも優位に立つことを
幸せと感じたり、思ったり、求めたりしている様な気がしています。

 

上の言葉はお弟子様がお釈迦さまに
「幸せとはどのような状態ですか?」と
問われた時の返答。
お釈迦さまの幸福論のようにも聞こえてきます。

 

 

若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、
すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。
かれらは死に捉(とら)えられてあの世に去って行くが、
父もその子を救わず親族もその親族を救わない。

 

 

今から2500年前はちょっとしたケガや
発熱が命取りになることがありました。
出来ることならば代わってあげたいと思っても
無理なのが、親子の別れや病であり、
現代でも変わらない苦しみです。

 

近親者を亡くした人にお釈迦さまが
語りかけられた真理のお言葉です。
(ブッダのことば 中村元訳より)

5月の行事予定

5月も講習会を行いますが
飲食を伴うお接待とお花まつりは
今年も中止とさせて頂きます。ご了承ください。

 

日 時 5月8日(土曜日)14時から
場 所 金剛宝戒寺 本堂において
演 題 「お釈迦様の言葉と瞑想」

一日も早いコロナウイルス終息をご祈念いたします。

 

中止
お接待   5月2日
お花まつり 5月19日

編集後記

「吾唯足知」
今月のお便りは自分自身への戒めのようにも感じました。

 

「雑務少なく、生活も簡素である」
臨終の時にその様に思える人生でありたいと思います。     
合掌

 

令和3年4月1日発行 第85号

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