高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

平成28年7月6日発行 号外

檀信徒の皆さまこんにちは。
本日は十善戒並びに菩薩戒牒の
授与おめでとうございます。
厳粛にとらえるのであれば、
今日と言う日は皆様にとって、
ご自身やご家族の誕生日、
結婚記念日などと同様に
とても大切な日に当たります。
(本号は九州ブロック研修会に
参加された檀信徒様にのみ発行致しました)

なぜ十善戒を受けるのか?

なぜ十善戒を受けるのか?
今日、十善戒を受けられた方の中にも
自分は「無宗教だ」
もしくは「信仰心の少ない人間だ」と
思われている方がいらっしゃるかもしれません。
しかしながら私たち人間は
誰しもが幸せを望み、
苦しみの少ない生活を望んでいます。
もう少し深く言うのであれば、
私たちは幸福を求め、
欲望を充足させたいと日々願っています。
それは宗教を信じている人も
何も信仰を持たない人も同じことではないでしょうか?

縁起を考える

そして今日、この場に居る方々は
少なくとも何かしらの「縁」があって
十善戒を受けられています。
仏教を開かれたお釈迦さまの
「縁起」の教えによれば、
私たちは自らの過去の行為の結果として
今ここにいるのです。

 

それは現世での行いだけではなく、
何度も生まれ変わった
過去世の行いの積み重ねにより、
現世では幸いにして人間としての
「生」を得られたことをも指しています。

 

私は普段、皆様のご先祖様の
ご供養などを通してご縁を頂いています。

 

その事はとても大切なことであり、
これからも続けて行きたいと願っています。
しかしながら本来の宗教とは
私たちが生きて行く上での
悩みや苦しみにどの様に
対処をしていくのか、
何処に心を置いて生きて行くべきかを
教えてくれるものなのです。

 

言うまでもなく私達は一人では生きて行く事の
出来ない存在です。

 

誰しもが誰かに依存し、
依存されて存在をしています。

 

その事がしっかりと認識でき、
自分の幸せを願うのであれば、
他者を助けつつ、
少なくとも他人を傷つけたり
不安がらせたりしない事が
自分への幸せと繋がって行く事が
明白ではないでしょうか?

 

他人の不幸は自分の不幸せへと直結してくるのです。

仏教とは

仏教とは、こころ穏やかに生きて行く為の教科書です。
その一番最初に有るのが
今日の「授戒」なのです。
自分と縁のある人たちに対し
身体でも言葉でも心でも攻撃することなく
生きることができれば、
いつの日かやってくる人生の
最期の日を穏やかに迎え、
周囲の人達からは愛されるのではないでしょうか。

十善戒とは

十善戒とは次の不徳の行いを慎むことです。
不殺生・・・不必要な殺生をしません。
不偸盗・・・他人の物を黙って自分のものにしません。
不邪淫・・・認められたパートナー以外との関係を持ちません。
不妄語・・・嘘をつきません。
不綺語・・・おべんちゃらを言いません。(中身のない言葉を話しません)
不悪口・・・他人の悪口を言いません。
不両舌・・・二枚舌を使いません。
不慳貪・・・貪りません。(執着)
不瞋恚・・・腹をたてません。(嫌悪)
不邪見・・・間違った見解をしません。(因果応報、輪廻の否定)

習慣性を持つ

一見、当たり前にも思えますが
全てを完璧に守る事は
簡単な事では有りません。

 

十の教えを人生の羅針盤として
生活を送ってみませんか?

 

大切なことは続けることと、
習慣性を持たせることです。
継続が難しければ何度も
三日坊主を繰り返して下さい。

 

十善のみ教えを守れなかった時に
違和感を感じる習慣性を見に付けて下さい。

 

この繰り返しを続けることが
心に変容をもたらします。

 

日々の生活の中で当たり前になってしまうこと程、
恐ろしく、素晴らしい事は有りません。

 

毎日の生活を反省しながら
感謝して過ごすことが出来れば
人生の風景が変わってくると思います。

編集後記

私は皆さんよりも若輩であり、
人生経験も、豊富とは言えませんが、
お釈迦様の教えを少しだけ知り、
その変容を少しだけ垣間見た人間です。

 

共に頑張って生きていきましょう!
どうぞ今日の一日が単なる行事では無く、
大切な節目の日となる事を願っています。

合掌

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