高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和元年5月1日発行 第62号

檀信徒の皆さま、こんにちは。
境内の木々の葉が
光を浴びながら散っています。
季節は分かっているのに一瞬、
雪かとおもうほどでした。
窓からの風景も神秘的です。

 

元号が「令和」に代わりました。
4月の発表間際にはテレビで様々な
予想が取り上げられていましたが、
一番多く使われていた文字は
「和」だったのではないでしょうか。
国民の願い、共通の想い「平和」を
未来に祈りたいと思います。

王舎城の悲劇に学ぶ

4月8日の講習会では住職が
「王舎城の悲劇に学ぶ」
と題してお話をさせて頂きました。

 

「王舎城の悲劇」はお釈迦様が
存命であった時代にインドの大国、
マガダ国で実際にあったお話です。

 

経典では「大般涅槃経」や「観無量寿経」
に書き残されています。

 

話の概略は、今から約2500年前、
マガダ国を建国したビンバシャラ王と
その妻、イダイケ王妃には、
年老いても長年子供が出来ませんでした。

 

そこで占い師に見てもらうと、
「ある山奥に住む仙人が三年後に亡くなり、
その後二人の子供として生まれ変わるであろう」
との答えでした。

 

ところがビンバシャラ王は
三年を待つことが出来ずに、
その仙人を見つけ出し、命を奪ってしまいます。

 

仙人は殺される間際に
「生まれ変わったら
ビンバシャラ王の子供となり
この恨みをはらす」
との言葉を残し死んでいきました。

 

そののち、不思議な事に
子供を授かった王に対し、
占い師もまた、仙人と同じことを
予言します。

 

恨みを恐れたビンバシャラ王は
産まれたばかりのアジャセ王子を
高い塔の上から落とし、
命を奪おうとしますが、
それも叶わずに王子は成長をしていきます。

 

ある時、ダイバダッタという
お釈迦様の弟子の僧侶から
出生の因縁を告げられ、
そそのかされたアジャセ王子は
父を牢獄に閉じ込め、
父の命を奪ってしまうのですが、
父親が死んだ直後から自分の
罪の重たさに気づき、
王子は心身共に
重い病に伏せてしまいます。
その病からお釈迦様が
救い出すと言う物語です。

 

 

懺悔の想いを打ち明けに来た
アジャセ王子に対し、
お釈迦様の取った対応は
決して超自然的な治療ではなく、
月愛三昧という瞑想でした。

 

様々な解釈は出来ると思いますが、
月愛三昧とは月の光が闇の中で
闇を残したままに全てを照らす様に、
相手をとがめることなく、
全ての物事を無条件で受容する慈悲であり、
世間的な言葉を交えるのではなく、
ただ寄り添い「祈る」ことではないかと
私は理解をしています。

 

私たちは世の中の出来事について
知らず知らずのうちに
自分の枠に当てはめて判決を下してしまいます。

 

その根底にある因縁、因果さえも
理解することなく判断をしてしまいます。

 

お釈迦様は「あなたの苦しみは私の苦しみである」
との自他不二の精神でアジャセ王子に寄り添い、
真の慚愧を起こさせ、
まずは体中にできた瘡(うみ)を治し、

 

次に心の病を癒していきます。
それは殺人犯を肯定する事ではなく、
紛れもない事実を本人に認めさせたうえで、
罪を背負った人生をどの様にして生きて行くべきなのか、
更生の道へと導いていきます。

 

このお話は多くの事を語りかけてきますが、
大切なのは人を裁くことでは無く、
理解しようとする事だと私は受け取りました。
理解の始まりは相手の話を聴くことだと思います。

 

あえて言うので有ればお釈迦さまの傾聴とは
神秘的なまでの受容性があったのではないでしょうか。

6月の講習会

そこで、6月の講習会は普段、
無意識に行っているコミュニケーション。

 

特に「話の聞き方」ついて
講演をして頂きます。
講師の先生は現在でも
県内外の大学の客員教授や
非常勤講師を務められている
臨床心理士です。

日時 六月八日(土曜日)午後二時より
演題 カウンセラーの聞く技術
講師 臨床心理士 高橋泰夫 先生

 

お布施の一つに無畏施という施しがあります。
ただ側に寄り添い、
恐れやおののきを取り除くことです。
私はこの物語(お経)に触れて
その意味が少し解ったような気がしました。
合掌

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