高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和4年6月1日発行 第99号

檀信徒の皆さまこんにちは。
梅雨入りを前に境内の剪定を楽しんでいます。
木々の若葉は青葉に代わりつつあります。

観自在菩薩とは

私たちに一番馴染みある経典、般若心経は
「観自在菩薩(かんじーざいぼーさー)」と始まります。

 

観自在菩薩とは皆さまもご存知の観音菩薩、
観世音菩薩さまの事です。

 

ではなぜ「観音菩薩行深般若波羅蜜時」や
「観世音菩薩行深般若波羅蜜時」としなかったのでしょうか?

 

自在とは「思うがままに、自分の意のままに」という事です。
ここからは個人的な見解になりますが、

 

つまり観自在菩薩とは「意のままに観ることが出来る」
菩薩様ということになります。

 

もちろん仏様ですから自分勝手にという事ではありません。
では逆に自在ではないとはどういう事でしょうか?

 

自在では無い状態とは足かせがある、束縛されている状態です。
つまり、縛られている状態で世の中を観ると理解してもよいかと思います。

 

別の表現をすると「思いこみ」や「決めつけ」になるのではないでしょうか。

 

しかしながら全くの私見が無く出来事を見るというのも無理な話しです。
そこには私たちがこれまでに歩んできた道のりや
人生観を通してしか物事を観ることができないからです。

 

ペットは苦手、ネコよりも犬が好きと言った些細な事でも
何らかの体験や経験を通して培われた見方がそこにはあるはずです。

 

また人間には、「自分は悪くない」というような保身的な部分が有ることも否定は出来ません。
嫉妬や妬み、優越感や偏見、執着もあると思います。

 

これらの感情を完全になくすことは出来なくても、
なるべくなら少ないのに越したことはないと思います。

余生を考える

特に寿命が劇的に伸びた現代において、
長生きをするという事は、それだけ若いころには出来たけれど
加齢とともに出来なくなることを長く味わう時間も増えることでもあります。

 

別の言い方をすると、お釈迦様の説かれる
四苦八苦の体験を長く何度も何度も経験することになるわけです。

 

人生百年と言われる時代に、
余生を嫉妬や妬み優越感と言った比較の視点から見るのではなく、
まずは感謝の気持ちから観るようにして生きていく方が
より有意義で幸せな人生を送ることが出来るのではないかと私は思うのです。

心の色眼鏡

文章にすると至極当然のようにも思いますが、
気づかずに掛けている色眼鏡を外すのは
容易な事ではありませんし、
そもそも眼鏡を掛けていることに気付くことも難しいです。

 

病や歳を重ね、肉体的には不自由が多くなり、
協力の手を差し伸べられた時に「申し訳ない」ではなく
「ありがたい」と思える心を作っておくためにも
六方拝を講習会で行っています。

 

毎朝、感謝を重ねる六方拝は些細な修行にも思えますが、
毎日心の色眼鏡をはずして心の矯正を続けることで、
私たちも観自在菩薩さまに少しは近づけるのではないかと思うのです。
興味のある方は一度参加をしてみてください。

編集後記

私事になりますが五月に実父の十三回忌を行いました。

 

コロナ禍ではありましたが神奈川の叔父に連絡をすると
快く帰省し導師を務めて頂きました。

 

少人数でしたので法要後には檀家さんのお店で会食も行いました。
食事もとても美味しく、父の昔話なども聞くことができました。

 

そこには祖父母や先代の住職。
亡くなった叔母やお檀家様のことも話に上がってきました。

 

私も普段は住職としてお檀家様の法事の導師を勤める立場にありますが、
法事をして頂く側になると準備の大変さと共に、
終わった後の安堵感や充実感を味わうことが出来、
お檀家様にもこのような気持ちになって頂けるように
明日からまた頑張ろうという気持ちにもなりました。

 

千葉から引越しを決意した時、
父は息子の将来を決めてしまうのではないかと
胸を痛めたようですが、皆様に助けられながら、
何とか住職を勤めさせて頂いている今を一度でも
見てもらいたかったと思いつつ、
いつも応援してくれて「ありがとう」との思いを持って
十三回忌を無事に終えることが出来ました。      
合掌

7月の講習会

日にち 7月8日(金曜日)
時 間 14時から
場 所 金剛宝戒寺本堂
内 容 「法話の会」

 

参加費無料です。
どなたでも参加できます。
皆さまのお参りをお待ちしております。

 

令和4年6月1日発行 第99号

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