高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和2年11月1日発行 第80号

檀信徒の皆さまこんにちは。
このお便りを書き始めた10月中旬、
境内は金木犀の花を敷き詰めたように
香りが漂っています。

 

朝の鐘を付く頃が夜明けの時間帯で
東の空には金星が輝き、お月さまと垂直に並んでいる日もありました。
刻々と移り変わり、毎日同じ景色を見る事はありませんが、
自然から励ましの言葉を毎日もらっているように感じます。

弘法大師号下賜1100年

10月27日は弘法大師空海様が醍醐天皇より
大師号を下賜されて千百年に当たり、
高野山ではお祝の法要が行われました。

 

宗祖お大師様には複数のお名前があります。
幼少期には真魚さまと名付けられ、
修業時代には自ら空海と名乗りました。
遣唐使船で中国(唐)に渡り伝法灌頂を受けた後には
恵果阿闍梨からは遍照金剛というお名前を授かっています。

 

そして弘法大師というお名前には次のような由来があります。
高野山の奥之院にご入定されてから86年たった10月21日。
醍醐天皇の夢枕にぼろぼろの衣をまとい、
髪の毛も髭も伸び切ったお坊様が現れ、
次のような歌を詠まれたそうです。

 

「たかのやま 結ぶ庵に袖朽ちて 苔の下にぞ 有明の月」

 

このお坊さまは空海様に違いないと確信をされた醍醐天皇は
「弘法大師」のお名前と檜皮色の御衣を下賜されることにしました。

 

天皇の勅命を受けた東寺の住職 観賢僧正と弟子の淳裕僧正が
奥之院へ赴きご入定後、初めて御廟の扉を開いたそうです。

 

そこには深い霧が立ち込め、空海様のお姿を見出すことが出来ませんでした。
自分たちの不徳を嘆いた僧正たちが一心に祈られると、
霧が晴れて醍醐天皇の枕元に立たれたお坊様が当に現れました。

 

有り難く思った観賢住職は空海様の髭や髪の毛を剃り、
御衣を替え、大師号の下賜をお伝えしました。

 

ところが随行をした弟子の淳裕僧正にはお大師様のお姿が見えませんでした。
そこで観賢僧正がお弟子の手を取りお大師様の膝に手を当てられ
存在を確かめられたそうです。

 

しかもその膝は温かく、触れた手からはお香の浄い香りが
消えることがなかったと伝えられています。

 

二人が下山の際に御廟橋で振り返るとお大師様が
お見送りに出ておられたので、畏れ多く、お礼を述べると

 

「汝ひとりを送るにあらず、ここへ訪ね来るものは誰一人漏らさず」

 

と言われたそうです。
このような言い伝えから大師信仰はさらに広まり、
今尚、信じられ私たちを救ってくださっています。

 

そうした経緯から9月号の末尾において大師号のお写経を募りました。
コロナ禍の影響で規模を縮小したうえでの法要となりましたが、
皆様のお写経は金剛峯寺に奉納をされています。
本山のフェイスブックにはその模様が挙げられていますので是非ご覧ください。

 

http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/event.html/daishigo1100/
参照

 

https://www.facebook.com/koyasan1200/

 

コロナ禍の法事

本山の法要だけでなく、コロナ禍において働き方など
様々な変化が見られます。

 

仏事にもその影響は少なからずあり、
以前よりも法事や葬儀などへの参列者が
少なくなったように感じています。

 

その様な中、先日は本堂とニューヨークをつないで
リモートによる参列を試みました。
今は海外から帰国しても直ぐに行動しにくい状況で、
2週間程度の自粛を求められます。

 

時間的な制約が大きいので
無理な帰国はしないでスマートフォンで中継する形をとりました。

 

本堂にはインターネットの環境が有りませんので、
機材などは全部お檀家さんに揃えて頂きましたが、
私は故人様の御霊を弔うのと同様に、
大切な家族を失った方々に供養を通して
安心をして頂くのも法事などの大きな目的だと考えていますので、
これからも希望があれば取り入れていきたいと思っています。

 

私たちの心の中に存在する限りお大師様もご先祖様も生き続けます。

12月の講習会

早いもので来月は師走です。

日時 12月8日(火曜日)14時より
場所 金剛宝戒寺 本堂において
演題「四諦八正道と瞑想」

12月8日はお釈迦様がお悟りを開かれた日で
成道会が行われるお寺もあると思います。
当山では講習会を行う予定にしています。
また12月21日のお数珠繰り、千巻心経は
新型コロナウイルスの感染防止の為に中止にさせて頂きます。         
合掌

 

令和2年11月1日発行 第80号

このページの先頭へ戻る