高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和3年6月1日発行 第87号

檀信徒の皆さまこんにちは。
私は月に一回、兼務住職をしている
中津の吉祥寺というお寺に合同供養に伺っています。

 

とても熱心なお檀家様が
いつも温かく迎えてくださり
毎月の楽しみでもあります。

 

5月に宇佐インターを降りた時には
麦畑が、まだ黄金色を伸ばしていました。

 

今年は刈り取る前に梅雨を迎えてしまいましたが、
合間の晴れを使って収穫が出来るのか気になっています。

5月の講習会について

さて3月に続いて、5月の講習会では
スッタニパータ聖典から
お釈迦様のお言葉を紹介いたしました。

 

スッタとは「お経・縦糸」、
ニパータには「集まり」といった意味があります。

 

仏教以前のベーダ聖典やジャイナ教などとも
似た言い回しが多くあり、
仏教聖典の中でも最古のお経と言われています。

 

日本でも詩や俳句が好まれるように、
インドでは詩を読むのが日常の様で、
聖典の中の短文も詩のような形式を取り、
韻を踏みながら少しずつ意味や言葉が変えられています。

 

当時は書物に書き残すことなく
口頭で伝えられていたことは
以前にも紹介をしました。

 

日本での句会の集まりの様にして、
世の中の真理を詩の形式にして
楽しんでいたのだと想像すると、
経典の味わいも違ってきます。

 

蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
悪い習慣がいささかも存在することなく、悪の根を抜き去った修行者はこの世とかの世を共に捨て去るようなものである。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
中村元 著 「ブッダのことば」より

 

三毒

仏教では貪瞋痴の煩悩の事を三毒と表現します。

 

貪とは「むさぼり」。瞋とは「怒り」。痴とは「ぐち」の事です。
これらが身体の中に入ってしまうと
蛇の毒が身体を害するが如くに
心が侵されてしまうので三毒と呼びます。

 

しかも恐ろしいのは、蛇の毒に身体が犯されれば、
しびれや吐き気などの異変を感じますが、
これらの三毒に害されても
心が浸食されていることに
気が付きにくいというのが特徴です。

 

また毒された時には直ちに解毒剤の服用を必要とします。
蛇の毒が身体のすみずみにまで広がってしまってからでは、
解毒剤の効き目がないように、
三毒に犯された時には、
なるべく早くに気が付き、
反省をして自己コントロールをするのが
解毒剤となります。

 

上の文章を見ても「滅する」
というような表現ではなく
「制する」とあります。

 

特に「むさぼり」とは生命の根源的なエネルギーであり、
気力などの源とも言えるかもしれません。

 

「母親から生まれたばかりの赤子でさえ拳を握っている。
これは人間の所有欲を表している」

 

と聞いたことがあります。
この根源的なエネルギーを無くしてしまうのは、
それこそ死にいたるまで不可能なのではないかと
近頃は特に思うのです。

 

人間と動物の大きな違いは言葉と火を用いることです。
火を使うことにより調理を行ったり
様々なモノを加工して私たちは生活を豊かにしてきました。

 

煩悩の炎に犯されるのでなく
制することにより、
更なる発明や進化が加速します。

 

これが真言密教の言う所の
「煩悩即菩提」です。

 

しかしながら自制していると思っていても
知らぬ間に侵されてしまっていることも
往々にしてあります。

 

達観して自己を見つめることほど
難しいことはありません。

 

そのことが分かっていれば
他人の意見を謙虚に受け入れる
姿勢を持たねばなりませんが上手くいっている時や、
逆に滞ってしまっている時ほど
受け入れがたくなってしまいます。
日常からの心掛けや鍛錬が必要になりま。
これらに効果があるのが瞑想ではないかと感じています。

7月の講習会について

日 時 7月8日(木曜日)14時から
演 題 「名著に学ぶ」
緊急事態宣言が出なければ講習会を行う予定にしています。

 

 

 

遠方から参加の方は事前にご確認をお願い致します。      
合掌
令和3年6月1日発行 第87号

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