高野山真言宗 清瀧山 金剛宝戒寺

令和2年1月1日発行 第70号

檀信徒の皆さま、新年明けましておめでとうございます。
皆様どのようなお正月をお迎えでしょうか?
年末には除夜の鐘つきを取りやめる
お寺の話題も耳にしましたが、
当山はこれまで通りとり行わせて頂きました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

私の想う般若心経

12月の講習会では今の私が理解している
般若心経のお話しさせて頂きました。

 

般若心経は日本で一番ポピュラーなお経で、
多くの解説本などが出ています。
俳句や短歌の背景を
様々に想像が出来るように、
わずか262文字の般若心経も
色々な解釈がしやすいるのが
その理由かもしれません。

 

その般若心経を本筋からは
それる事が無いように、
実生活で活かせる様に
説明をさせて頂きました。

 

この262文字のお経を一言で表すとしたら、
私は「五蘊皆空」だと思います。
物質的要素も心的作用も
諸行無常
(全ての物は常に移り変わる)であり
諸法無我
(全ての物は因縁によって成り立っている)
だからです。

 

それ故に是諸法空想
(世の中の現象は空である)
と説いています。

 

この「空」という思想をもって
お釈迦様の説かれた
「四諦八正道」
「十二因縁」などの仏教の基本概念を
否定していきます。

 

私は当初このあたりの理解が出来ませんでした。
実は普段耳にしているお経の多くは
お釈迦様が存命の時に書かれたものではありません。

 

以外に思われるかもしれませんが、
そもそもお釈迦様はお経を書き残していません。
時代的にも何かに書き残すというよりも
「口づたえ」で残すという方法が主流でした。

 

また我々が病院に行った時に渡される
処方箋がそれぞれに違う様に
お釈迦様の説かれる「法」「教え」も
人それぞれに違うものだったからです。

 

例えば血圧が高い人には血圧を下げる薬を、
逆に低い人には血圧を上げる薬を処方
しなければならない様に、

 

悩み苦しみを持った人を救うには、
それぞれの「法や教え」を
説く必要性があると考えていたからだと思います。

 

話が脱線をしましたが、
仏教の基本概念を「空」の
思想で否定しながらも、
般若心経を理解しようと思うと、
結果的には仏教の基本概念を
学ばなければなりません。

 

このあたりの解釈は全くの
持論となりますが、
空の思想を覚り、
般若心経を記した作者は、
いかにこの教えを広め
残していくかを考えた時に、

 

自分の名前を残すよりも
「空」の教えを残すことに重点を置き、
全ては「お釈迦様の教え」
としたのではないかと妄想をしています。

 

そして「空」の実践を行う菩薩(修行者)は
心にこだわりが無くなり、
こだわりが無いから恐れが無く、
真実の悟りにたどり着くことが出来るのです。
と説かれています。

 

そしてオーケストラがクライマックスを
迎える様に「ギャテーギャテー」と続きます。
ここは響きの良いサンスクリット語を
そのまま残しています。
なぜならば、この般若心経自体が
霊験あらたかな一つの呪文だからです。

 

アリババと四十人の海賊に出てくる呪文
「開けゴマ」という言葉に意味は無くて
も財宝の隠された洞窟の扉を開くように、
私はこれまでにも般若心経の効験で
多くの奇跡を目にしてきました。

 

講習会では私なりの
「ギャテーギャテー」の説明を
お話しさせて頂きましたがここでは
割愛させて頂きます。

 

決して本筋から逸脱していないと
思うものの紙面に掲載をするには
もう少し研鑽を必要とする気がするからです。

2月の講習会

二月八日(土曜日)十四時から
演題「真言密教の基本と活かし方」
住職がお話をさせて頂きます。

涅槃経の中に「自灯明法灯明」の教えがあります。
お釈迦様が入滅された後は
「自らを灯として拠り所となし、
法(教え)を灯として拠り所としなさい」
という教えです。

 

私が生まれた40数年前と
比べても生活が楽になり、
物質的には豊かになった反面、
精神的には悩み、苦しみの多くなった
人々が増えている気もしています。
そんな時代だからこそ宗教や
お寺がもっと活躍すべきだと
個人的には考えています。

 

一年で一番ゆっくりと出来る
お正月にこれからのお寺の
あるべき姿を考える時間にしたいです。         
合掌

 

令和2年1月1日発行 第70号
写真は矢野大和さんの講習会

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